究極のローコスト・ハイリターン体操“寝ゆる黄金の3点セット”
第1話 あなたの身体は60兆の社員を持つ会社。
だから、無限の成長余地がある
これから8回にわたって、「自分のために、身体をいかに役立てるか」をテーマに話を進めていきたいと思います。
自分のために、いかに身体を役立てるか……。
プロのスポーツ選手を考えれば、その内容は瞬時に理解できます。ただ一般の人々にとって、身体をどう役立てるかということはすぐには理解できないと思います。
実はどんな仕事をしている人にとっても、どんな年齢の人にとっても、身体というのは積極的に役立つ資産、もしくは組織、あるいはメカニズムです。もっと平たくいえば、自分にとっての味方、財産です。
ここではその点をよく理解していただきながら、およそ人間として身体を役立てるための体操法を3点ほど紹介したいと思います。
身体というのは、まず組織です。組織と聞くと、あなたは、すぐに自分が所属する組織、会社企業なり地域共同体なり学校なりを想像されるでしょう。実は、身体というものも、精神と密接に結びついた典型的な組織です。
この組織の特徴を分かりやすくひと言でいいますと、“構成員数が永久に変わらない、あるいはほとんど変わらない組織”になります。企業を例にとれば、企業が成長するとき、構成員が増えていく次元が必ずあると思いますが、それがほとんど変わらない企業ということです。
「では、あまり成長が見込めないのか?」と思われるでしょうが、実は、ほとんど無限の成長が見込めるのです。なぜかといえば、人生は長くても100年だからです。人生が100億年もあれば無限成長できないかもしれませんが、たかだか100年ですから、その期間内において無限の成長が見込めるといって間違いありません。
「構成人員は増えないのに、なぜ無限の成長が見込めるの?」
こんな疑問を持たれた方もあるでしょうが、あなたの身体を会社として考えてみてください。現代の生物学では、人間の細胞数はだいたい60兆前後といわれています。企業でたとえると細胞が社員の一人一人に当たりますから、あなたの会社の社員数は60兆になります。
これだけでもずいぶん見え方が変わってきたと思いますが、60兆の社員がいる会社はありません。全人類でもおおよそその1万分の1、約80億人です。だから、全人類を1万倍したような巨大な企業体だということです。
60兆もの社員を持った企業の経営者は、社内・社外の優秀な協力者の手を借りながら、そして社員たちと実に力動的な関係を結びながら、よい方向に経営していこうとします。しかし、わずか100年足らずの期間では、必要な経営努力をすべてなし終えることができないことはすぐに理解されるでしょう。
身体を、60兆の社員を持った企業体と考えてみてください。そうすると、膨大な経営努力の余地のあることが見えてくるはずです。膨大な経営努力の余地があるということは、ほぼ無限に改善できるということで、無限の成長が見込めることになります。
身体が精神を支配していることを利用すると、身体が大きな資産になる
そう考えたところで、次の話です。
アスリートであれば身体を何とか経営し、身体を改善します。陸上の選手なら、それでタイムが0.1秒上がります。0.1秒上がれば、オリンピックなどでも、決勝に残れなかった選手が決勝に残れるようになります。それまで決勝にひっかかるかどうかだった選手が、優勝するかしないかといった違いになってくるわけですから、タイムが0.1秒上がるのは大変なことです。
「でも、一般人だったら、身体の経営とか改善はそんなに関係ないんじゃないの?」
こう思われるかもしれませんが、実は身体というものは、これまでの科学、医学では気づかなかったほど心を支配しています。身体は人間の精神、いえ、そういう意味でいえば知恵、知能、知力などを支配しているのです。
こういいますと、みなさんは「言葉の間違いじゃないか。精神が身体を支配しているのは分かるが、その逆は考えられない」と思われるでしょう。自分の身体をどうするかと思うのは心の作用で、その作用で身体の扱いが決まると考えているからです。
しかし、自分自身の体験およびさまざまな学術研究、そして多くの人々に身体を改善する方法に取り組んでいただいた実践から得られた結果から、違う結論が出ています。身体が精神を支配している関係が、非常に明確に見えてきたのです。
身体が精神を支配しているこの関係を理解し、利用することは大きな意味があります。ここをうまくやると、身体というものを自分のまさに資産として、素晴らしい人生が送れる、あるいはすべての能力の共通部分を高められるのです。
例えば組織の典型である企業には、当然のごとく費用に対する効果を科学的厳密に考察するコスト理論が必要です。コスト理論がなければ、会社の経営も、一人一人の仕事も、生産性も考えられません。そこで、ひとつ質問をします。
「あなたには、仕事をしている、夜寝ている、風呂に入っている、趣味をやっている、家族や友人と食事をしているという日々の営みがあります。そういう日々の生活において、身体というものに対して、企業体のように徹底したコスト理論というものを持って対処しているでしょうか?」
おそらく、どなたも対処していないはずです。会社についてはコスト理論が当たり前の話と考えているわけですが、身体についてのコスト理論はゼロの状態にあるわけです。
最初にお話ししたように、身体というものは60兆もの構成人員を持った超巨大企業体です。そういう意味でいくと、徹底したコスト理論が必要になります。
ご存じの通り、会社というのは巨大になればなるほど、あぶく銭ではないですが、あぶく社員みたいな社員が増え、関係もでたらめなものになって効率が下がるというのが世の常識です。
組織が大きいのに経営努力が薄ければ、つまりコスト理論が徹底していなければ、その分だけ会社というものは生産性が下がります。これが組織の法則ですから、身体には60兆もの構成人員があると考えてみれば、コストとそのパフォーマンスとの関係を徹底的に極めていいはずです。
しかし、実態はゼロです。10や20や30のコスト理論があれば、「では、その改善をしよう」ということになるでしょうが、そうした考え方すらありません。発想がゼロですから、そうした努力のなされようもありません。
ビジネスパーソンのみなさんにとっては、組織構成とか組織の成長・改善、それにコスト理論やコスト意識などはなじみの深いものでしょう。それに比べて企業に属さない方々は、コスト理論になじみが薄いかもしれません。そうした皆さんを含め、まず身体を組織ととらえること、そしていかに少ない努力で人生に役立つ多大な効果が得られるかを考えて、体操法を選び行うこと、それがみなさんと私との理解のパイプになるわけです。
ほぼゼロコストで、98点のリターンがあるおいしい体操法がある
ここからは、抽象論ではなく、具体的なノウハウである体操法について、何をやったら良いかを紹介しながら進めることにします。同時に、その実践を踏まえながら、共通の理解を深めていきたいとも考えています。
実践といっても、「さあ、体操するぞ!」と身構えないでください。「試しにやってみるか」程度の軽い気持ちでやってみてください。そう身構えると、身体的にも、精神的にも超ローコストであるこの体操の特長を打ち消すことになってしまうからです。
そういう意味でいえば、「まずどんな体操か?」というとき、これは自分を改善するノウハウといってもいいですが、改善する努力の第一歩をコスト理論に置くのです。その努力自体、そのノウハウ、メソッド自体のコストが極めて低いことが大切です。
コストを低く抑え、できれば“ゼロコスト”でいきたい。それでいながら、「ゼロコストなのだから、リターンはしょうがない。まあ、1か2でいいか」ではなく、世界中のあらゆる体操法を見渡したときに、「これほどリターンの大きい体操はないぞ」という体操を選びたい。ゼロコストで、しかも100点満点でいえば98点ぐらい獲得したいわけです。
「そんな馬鹿なことあるのか、そんなうまい話があるのか?」
こう思われるかもしれませんが、そんな馬鹿な体操法、おいしいノウハウを開発するのが、私たち専門家の仕事であるべきと、私は考えています。そして、結論から先に申し上げると、そんなおいしいノウハウがあるのです。
ローコストな体操とは、低カロリー・低疲労・低ストレスな体操のこと
当然、ふたつの観点で見ていきます。ひとつはコストです。ローコストであること、もっとローコスト、もっともっとローコストという観点です。
もうひとつは、それから得られるリターンです。身体の一部が改善されるというリターンもたいしたことですが、ある体操でいつもだるかった腰が治ったとして、これだけで98点の体操と思ってはいけません。リターンに関しては、「そうした限られたリターンだけでは98点どころか15点ぐらい」という観点から、厳しくチェックします。
まず、コストのほうからお話しすると、ある体操が効くらしいという噂が立ちます。「なかなか上半身の筋肉もつくし、ガッツも湧いてくる」などと聞くと、「いいんじゃない」となります。では、その体操をいつやるのか、です。
たとえば、朝、出社前に10分やる。昼休みに10分やる。自宅に帰ってきてから5分やるとしましょう。体操ですから、普通は立って手足を屈伸したりします。その他、もろもろの運動もついてくるでしょう。
コスト理論から見たとき、こうした体操は非常にハイコストです。ハイコストという理由は、まず立ってやることです。
「えっ、体操だろう。体操は立ってやるもんだろう」
こう思われるかもしれませんが、立ってやることには、立っているだけのコストがかかります。あなたが本当に疲れ切ったときを想像してください。どうですか、立っていられますか? 立っていられないほど疲れたときは、立っていられません。椅子に座るでしょうし、もう疲れ果ててしまったときは横になるはずです。
仰臥位に比べると、立位は、立っているというだけで相当な身体的コストと精神的コストがかかっていると見てください。ちょっと専門的にいえば、体幹起立筋という筋肉が筋収縮し続け、エネルギーを消耗しているわけです。
「そうか。じゃ聞くけど、体操なんだから、少しは身体を使ったほうがいいんじゃないの。エネルギーを消耗したほうがいいんじゃないの?」
こんな意見が出てきそうです。いえいえ、体操でエネルギーを消耗したら、ほかのことに回すエネルギーが減ってしまいます。そんな体操は、誤ったコスト分配の体操です。
「でも、体操って、それで汗をかくことで、たとえばカロリーを消費して、ダイエット効果とかあるじゃないですか?」
あなたは、ダイエットのために、わざわざ時間を取って立って体操をやるのでしょうか。ダイエット効果のある体操は、疲れます。疲労はコストです。
「まあ、そういわれればそうか。じゃあ、エネルギーを、つまりカロリーを消費してはダメなんですか?」
ダメなんです。
「じゃあ、そんな体操が本当にあるのか?」という気持ちになられたと思いますが、それがあるんです。つまり、ほとんどカロリーを使わない体操です。
ということは、どんなに疲れていても、つまり目の前が灰色になるほど脳が低血糖になっていても、やれるということです。脳が低血糖になっているときに体操をやろうと思うと、「死ぬような」というのはオーバーですが、いっとき相当な根性を奮い起こさないと、身体など動くものではありません。
仕事を終えてみなさんが自宅に帰ったとき、実は、頭のなかはかなり低血糖になっています。低血糖の脳が何をしたがるかというと、酒飲みの癖のある人は酒を飲みます。つまり、アルコールが欲しいわけです。お酒が飲めない人は、甘いものを欲しがります。甘いものでないにしても何か欲しくなるかというと、炭水化物が欲しくなります。アルコールと甘いもの(糖分)と炭水化物、これらが最も速くカロリーになります。だから、低血糖の脳は、そういうものが欲しくなるわけです。
そんな状況のとき、体操はどうですか? 大変辛くありませんか? そうすると、カロリーを消費するかしないかといったレベルの問題ではなくなってしまいます。脳が低血糖のときにカロリーを消費せざるを得ないような行動、つまり体操をやろうとすると、脳の低血糖状態と脳自身が戦わなければならなくなるからです。
そのとき、「根性を奮い起こしてやろう」とするのは、心的な脳の作用です。一方、生化学的な脳は、「低血糖になっているから、もうやりたくない」とも思っています。そのせめぎあいのところを、「いや、これは役に立つ。ビジネスパーソンとしての俺の土台を支える重要な体操だから、やらなければいけないんだ」と、知識で脳を叱咤激励します。
生化学的な意味での脳は、「もうやめてくれ!」と叫んでいます。一方、知識的な脳の作用は、「やらないと!」といっています。そこに何か起きるかといえば、脳の矛盾です。まさに壮大なストレスが発生します。
脳自身のなかの矛盾、逆方向の回路を同時に使うことが、最も大きなストレスになります。こうなると、話は単なるカロリー計算ではすまなくなり、その先にある脳が引き起こすストレスの問題になってしまいます。
「ストレス」と聞いた途端、ビジネスパーソンのみなさんはかなり共感を持たれたのではないかと思います。いまビジネスパーソンが置かれている状況のなかの一番の問題こそ、高ストレスだからです。
さまざまな条件のなかで、脳のなかで理性と感情との矛盾が起きている。それが自分のなかに矛盾し合う自分を生み、さらにそのストレスを抱えながら、あるいはストレスを超えて生きていかなければならない……。
これが現代ビジネスパーソンの置かれている状況の縮図だと思いますが、疲れているときに体操をやろうとすると、その手ひどい形がダイレクトに起きてしまうことになります。これほど高コストなことはありません。だから、カロリーを使わないような自堕落な方向、ストレスをともなわないだらしない方向、「それが体操といえるのか」という方向で体操を探さなければならないわけです。
「寝よう」と布団に入ったときが、時間コストがゼロに近い時間
そこで、次の問題です。では、「ローコストの体操ってどんなふうに具体的に見つかってくるの?」という話になります。
要素としては、まず時間です。一日の生活時間のなかのどの時間帯に、ローコストな、あるいはゼロコストに近いような時間が見つかるかということです。
結論からいいますと、「寝る体操がいいらしいから」ということになります。しかし、自宅に帰ってわざわざ寝るとしましょう。すると、そのあとまた立ち上がらなければなりません。
細かいことをいいますと、寝るためにもひざを屈伸しながら曲げ、床に軟着陸する必要があります。バタンと突然倒れたら、怪我します。それだけでも本当は面倒くさいのに、そのあとまた立ち上がらなければならない。これはコストになります。
すると、「これだ! これしかない!」という体操の時間帯が見えてきます。それは、体操をやろうと思わなくても、横になる時間です。
どの時間かといえば、寝ようと思って布団やベッドに入ったあとの時間です。この時間は、体操をやろうと思わない人でも、体操を知らない人でも、みな横になります。横になったところからこの体操をやれば、ゼロコストに近くなります。
さらに、この時間は、他のことができません。少なくとも、身体を使って他のことはできません。寝付くまでの時間は、人によって1分とか、長い人では10分、15分とかあるでしょうが、そういう時間は放っておけば“無意味な時間”です。何も生み出せないけれど、そのままにしているしかない時間です。
この時間を使うことは、ゼロコストです。“時間が生み出す生産性”という意味でいくと、“無意味”なその時間をそのままの状態で利用する限り、時間的なコストはゼロになります。したがって、この時間帯が体操の最高の時間帯になります。
もうひとつ、それに近似する時間があります。朝、目が覚めて立ち上がるまでの時間です。ここに30秒もかかる方であれば、その30秒が使えることになります。人によっては、この時間は慌ただしいかもしれません。したがって、完全にゼロコストではないかもしれませんが、限りなくゼロに近いコストと考えていいでしょう。
時間のコスト理論から、体操の時間帯として、就寝時と起床時の横になっている時間がまずクローズアップされてきます。
そこで、次の条件です。当然、ポジションを変えることは避けたいです。仰向けに寝ているのであれば、仰向けに寝たままの状態でできることが望ましいものです。
これはエネルギーコストの問題で、このコストは2つの観点から考えなければいけません。ひとつは、汗水かくような運動はダメだということです。美容体操などでは足を上げたり、背筋を鍛えましょうとかいって腰をブリッジするように上げたり下げたりします。カロリーを消耗しすぎるそうした運動は除外しなければなりませんし、腹筋運動も除く必要があります。
そうした発想の体操は、カロリーを過剰消耗するだけではありません。筋肉に激しい刺激を加えるような運動をやると、今度は寝付けなくなります。「時間コストがゼロか」と思っていたら、次の寝ているはずの時間にどんどん侵略していったりします。寝ているはずの時間を寝られなくしたら、そのコストは莫大です。また、朝にこんな体操をやって、「うわっ、疲れちやった、もうちょっと休もう」とかなったら、これはとんでもない話です。
だから、エネルギーコストからの第一の観点は、消費カロリーが非常に少ない体操です。「こんなもので体操になるの?」という程度の体操でなければいけないということです。
エネルギーコストからのもうひとつの観点は、そうしたあまり筋活動とかをしない体操、エネルギーを消耗しない体操、カロリーを消費しない体操でありながら、しかも圧倒的に大きなリターンのある体操ということです。
「それって、むずかしいんじゃないの? ヨガとか気功とか、あまり動かないんだけどむずかしいのってあるじゃないですか?」
むずかしいということは、大きなコストです。あまり動きませんから、身体のほうのエネルギーは消耗しません。しかし、「むずかしいここをどうやればいいのか?」と試行錯誤しながらおこなうわけですから、脳活動で非常にエネルギーを消耗しているからです。これは、普通思われている以上に高コストです。
もし、そうしたむずかしい身体のコントロールを休むはずの時間にやったらどうでしょう。先にもいいましたように、これは非常にストレスになります。高コストのうえに高ストレスを生む状態をつくり出してしまうことになるわけです。
ストレスを放置すると、身体や精神を痛め病気になります。必ずどこかで解消しなければなりませんから、これもコストになります。だから、エネルギーを消耗しない動きの少ない体操でも、むずかしいものは高コストだから無理という結論になるわけです。
ここまでの話をまとめると、理想の体操像はこうなります。
時間コスト的には、夜、ゴロッと横になってから寝付くまでの時間、それから目が覚めてから立ち上がるまでの時間が一番いい。エネルギーコスト的には、ほとんど筋肉活動をせす、汗もかかず、エネルギーを消費しないものがいい。最後が、脳コストから見て、超アホなほど簡単な体操ということです。なおかつ、100点満点で98点の巨大なリターンが得られるものです。
これからご紹介する「ゆる体操」の超基本メソッド「寝ゆる黄金の3点セット」は、そのような観点からすると、まさに理想的な体操といえるのです。